『スピノザの世界〜神あるいは自然』を読む

「欲望とは意識を伴った衝動である。」
「われわれはあるものを善と判断するがゆえにそのものへ努力し・意志し・衝動を抱き・欲望するのではなくて、反対に、あるものへ努力し・意志し・衝動を抱き・欲望するがゆえにそのものを善と判断するのだ。」
『エチカ』より

要するに、欲望と衝動との違いは意識をするかしないか。衝動は純粋で無意識だが、それを意識したとたんに欲望になるということ。
我々が何かをするにあたっては、行為に先だってその目的が必ずあるように思われているが、目的が先なのではなく、衝動が目的に先立つのだ。
無意識な衝動は、目的とは何の関係もなく純粋に存在し、私たちの精神と肉体に何かをさせる。意識を伴った衝動は「欲望」として事後的に目的に結びついて認知される。欲望と目的は同じであるが、しかし、衝動そのものは相変わらず目的とは無関係である。
衝動が生まれるところに、意志が生まれ、その欲望の先に(自分にとっての)正しい目的が生まれ出るということか。善なる目的のためには、善なる意志を無意識のうちに衝き動かす、無垢なる美しい衝動が必要なのだろうか。
目的とは衝動なのだから、善なる目的のためには、とことん欲望に忠実になること。知性と欲望は、同じ善なる衝動のもとにあるのだ。