『山月記』物語文

みなさんこんにちは。国語の授業利用サイトです。今回は相互閲覧する目的で、中島敦山月記』の「物語文」を投稿してもらいます。作品のみ投稿してください。完成品でなくとも、作成中の草稿でも構いません。氏名はここでは記入不要です。(あとで提出用紙に記入してもらいますので)
入力方法は、画面より、コメントのボタンを選んで、コメント欄に「物語文」を入力してください。名前欄は匿名(ペンネーム)を記入し、本名を記入する必要はありません。セキュリティのため画像認証欄に表示されているアルファベットを入力して、投稿ボタンを押せば、コメント投稿完了です。
それではみなさん、がんばって創作してください。

宮台真司『日本の難点』より抜粋

「いじめ」とは、人の「自由」な日常活動のベースになっている「尊厳」(他者の承認ん契機とする自己価値)を、回復不能なまでに傷つけることで、以前と同じ生活を送れないようにしてしまうことです。「尊厳」を破壊することで「自由」を奪う営みこそが、「いじめ」の正確な定義です。

重松清さんの『青い鳥』という短編集があります。最近映画になりました。主人公の先生は強度の吃音です。その先生が、子どもたちを「いじめ」から遠ざけるための、極めて大切なメッセージを語ります。「本気で話したことは本気で聞かなくちゃいけないんだ」という印象的なセリフです。

先生の本気が、生徒たちに「感染」していきます。人の「尊厳」を傷つけ、そのことで「自由」を奪ってしまうのが、なぜいけないことなのか。それは「理屈」ではありません。「社会の中で人が生きる」ということを支える前提です。なぜそんな前提があるのか、誰にも分かりません。

だから「ダメなものはダメ」なのです。「みんなが言うからダメ」とか「誰かをいじめれば君もいずれはいじめられる」などと説教するのはクダラナイ。「ダメなものはダメ」を伝えられるのは「感染」だけです。「感染」を引き起こせるのは何であるのかを、『青い鳥』はよく描いています。

心底スゴイと思える人に出会い、思わず「この人のようになりたい」と感じる「感染」によって、初めて理屈ではなく気持ちが動くのです。「いじめたらいじめられる」なんていう理屈で説得できると思うのはバカげています。世の中、弱い者いじめだらけだし、それで得をしている大人がたくさんいるのですから。

そうじゃない。「いじめはしちゃいけないに決まってるだろ」と言う人がどれだけ「感染」を引き起こせるかです。スゴイ奴に接触し、「スゴイ奴はいじめなんかしない」と「感染」できるような機会を、どれだけ体験できるか。それだけが本質で、理屈は全て後からついてくるものです。

想像してほしい。利己的な奴が本当にスゴイ奴だなんてあり得るでしょうか。「感染」を引き起こせるでしょうか。あり得ない。周囲に「感染」を繰り広げる本当にスゴイ奴は、なぜか必ず利他的です。人間は、理由は分からないけれど、そういう人間にしか「感染」を起こさないのです。
宮台真司『日本の難点』幻冬舎新書より)

提出作品より

  • 映画『あの空をおぼえてる』を観て  2年次 IK

この映画をみて、最初に浮かんだのが、自分の家族の顔でした。今はもう、結婚しちゃって、お父さん、お母さん、そして私の3人しかいないけど、それまではお姉ちゃんや、お兄ちゃんも一緒に住んでいて、喧嘩しながらもとても楽しく暮らしていました。
 私の家族はちゃんと生きてるけど、この映画の家族は私の家族のように幸せに暮らしていたのに、愛する妹の死で家族の絆が壊れかけてしまう話でした。
 この話は、仲良く暮らす、4人家族の話で、その中の一人息子の英治の目線で描かれたお話です。
 父の雅仁、母の慶子、息子の英治、娘の絵里奈。
ただただ平凡に、幸せに暮らしていたはずの家族が、壊れてしまいそうになる…
 それは、最愛の娘、愛らしい妹、絵里奈の死でした。
 暗いままの両親を見ていられず、励まそうと頑張る英治に、雅仁は冷たく、
英治は、「お父さんは、絵里奈じゃなく、自分が死ねば良かったんだ」と自分を責めていました。それに両親は気づくことができませんでした。
 でも、あることがきっかけで、英治が毎日絵里奈宛に書いて手紙を発見し、
英治が両親にずっと隠していた思いを知り、やっと絵里奈の死を受け入れることができました。そして少しずつ家族の絆を取り戻していくことができました。
 私もきっと、家族の誰かが死んでしまったらショックで、雅仁のように受け入れられないんだろうな。と思います。
でも、人はいつかは死んでしまう。それを思って、今は当たり前のようにいる家族もいつかはいなくなってしまうことを覚悟しておかないといけないなと思いました。

  • 映画『あの空をおぼえてる』を観て  2年次 MA

 この話の主人公の英治は、交通事故で兄妹ともに車にはねられて妹の絵里奈を失い、また体だけではなく心にも傷を受けているのにもかかわらず、両親のことを一生懸命に励まそうとします。そんな英治の姿をみて少し涙が零れました。
 絵里奈の死を受け入れられずにいる両親を思って、絵里奈の代わりになろうとする英治の姿は本当に切なく、そして父親の言った『何で絵里奈だったんだ』という言葉を聞いて、“自分が死ねばよかったのか”と受け取ってしまった英治と両親がちゃんと向き合うことができたシーンは本当に感動的でした。
 死というのは、私たちには必ず訪れるものだし、人が死ぬと言うことは誰にも止めることができないものです。
 人が死んでも、心の中に生き続けると誰かは言うけれど、私たちには死んでしまった人の体温も、その人とこれから過ごす時間も、声も、感じることができません。
 確かに心にはその人がいると思って生きていたら、気持ちは晴れると思います。
 でも、同じ時を一緒に過ごすことができなくなるのはとても悲しいです。
 残された人たちの気持ちって言うのは、いつかは傷が癒えて、消えてしまうことはなくても薄れていってしまうのは確かだと思います。
 だからこそ、今ここに生きていて、私の周りの人たちと同じ時間を共有できていることは、とてもすばらしいことだと思いました。

『日本の四季』

☆わかったこと!


北欧は
春秋を
ほとんど/感じない。


北欧の冬は
長い。


日本人と/四季は
切っても/切れない仲。


万葉集の/時代から
恋の歌とかと/一緒に/四季があることに
びっくり。


日本の四季は/世界から見て
めずらしい。


四季の変化を
嘆く人も/いれば
永遠を
垣間見る/人がいる。


桃の節句
端午の節句
生活の中で/四季が/顕在化した
装置が
行事である。


四季を通じて/生きることが
生活の/大きな意味。


人にとって/季節が変わることが
当たり前に/なっている。


日本人は
四季を
あたりまえのように
感じている。


当たり前のように
生活している
でも
その当たり前が
素晴らしい!
ということ。


四季を/除いたら
日本の/文学や詩が
成立しない。


「四季の移りかわりは、/いうまでもなく/時の流れを感じさせる……」
変化

流れ
じゃなくて
終わり

始まり

繰り返しだ。


変わらない中に
変わらない何か
がある。


四季→すべて。


★疑問点?


文章が難しくて
よくわからなかった。


一度読んだだけでは
よくわからなかった。


【読み?】
山桜花?
砂漠の中近東?
顕在化?
貴い真実?


【意味?】
否応なしに?
もののあはれ


【内容?】
もののあはれ」と/日本人の心を/言っているけど/なぜ?


なぜ/こんなにも/四季について/考えてしまうのか?


なぜ/作者は(日本人は?)/四季に/執着するのだろう?
というか、なんというか……?


「一年の節目のはれのまつりごと」/とは/何があるのだろう?


(P.115-L.5)/「四季とは〜入口であった。」/の意味?


http://www.madin.jp/pregen/

無題

屋上体験。仰ぎ見た青い空のリアルさ。


a「impression」→「expression」……感動は表現の種
b「input」←「output」……表現の必要性が読解を血肉にする


現代文の教室は出発駅。行き先の無い乗車券を握りしめて歩いている生徒に、行き先が記された切符を、授業の中で教師が切る。自由、責任、方法、人、考え、斬新な発想、愛、信念。生徒が遙か遠くまで行くための旅の途中駅でもある。


月島雫の成長〜映画「耳をすませば」(宮崎駿監督/一九九五年)


わからないけど面白そう(何かありそう)→知りたい、解りたい。
難解ですんなりわからなくても、良いもの、本物の価値がある文章や表現作品に触れる機会を数多く作る。


「不完全燃焼な青春映画」……何かをやりきった達成感のある予定調和的映画ではなく、モヤモヤした気分と違和感を残したまま終わるような。繊細な感受性に訴え、文学解釈・表現の踏切り板として。例えば「檸檬のころ」「リリィ・シュシュのすべて」「虹の女神


星の王子さま』のキツネ
「じゃ、大事なことを言うよ──ものは心で見る。かんじんなことは目で見えない。」 │


受験現代文に限って言えば、高等学校の教育からも、大学側が入学生に真に求めている学力からも外れて行われている現状。大学が受験生に求める学力が本来の高等学校の現代文教育と異なるはずがない。受験対策用の学力(単に問題を解く力)を上回る基本的な読解力・思考力・表現力を高等学校の授業でつけていくことを取り組んでいきたい。


「現代文を教える」ではなく「現代文で教える」教師、さらに言えば、「現代文で生徒と共に思惟する」教師になりたい。生徒は教師の背中を見て育つ。生徒にとっていちばん身近にいる親以外の大人は教師である。大人になっても学ぶことを愉しみ、日々成長している姿を見せたい。生徒に「大人になるって素敵(悪くない)かも」と思わせたい。欠点まで含めて(人間として)惚れさせるような魅力を放ちたい。


毎日の授業での対話、ちょっとした触れ合いの積み重ね。素直な気持ちに気付き、温もりと愛を感じると表情が変わる。生徒に変化がおきた時の喜びが何とも言えない。教師はそれだけで頑張っていける。想いは必ず伝わる。まずは目の前の一人からアプローチしたい。