無題

屋上体験。仰ぎ見た青い空のリアルさ。


a「impression」→「expression」……感動は表現の種
b「input」←「output」……表現の必要性が読解を血肉にする


現代文の教室は出発駅。行き先の無い乗車券を握りしめて歩いている生徒に、行き先が記された切符を、授業の中で教師が切る。自由、責任、方法、人、考え、斬新な発想、愛、信念。生徒が遙か遠くまで行くための旅の途中駅でもある。


月島雫の成長〜映画「耳をすませば」(宮崎駿監督/一九九五年)


わからないけど面白そう(何かありそう)→知りたい、解りたい。
難解ですんなりわからなくても、良いもの、本物の価値がある文章や表現作品に触れる機会を数多く作る。


「不完全燃焼な青春映画」……何かをやりきった達成感のある予定調和的映画ではなく、モヤモヤした気分と違和感を残したまま終わるような。繊細な感受性に訴え、文学解釈・表現の踏切り板として。例えば「檸檬のころ」「リリィ・シュシュのすべて」「虹の女神


星の王子さま』のキツネ
「じゃ、大事なことを言うよ──ものは心で見る。かんじんなことは目で見えない。」 │


受験現代文に限って言えば、高等学校の教育からも、大学側が入学生に真に求めている学力からも外れて行われている現状。大学が受験生に求める学力が本来の高等学校の現代文教育と異なるはずがない。受験対策用の学力(単に問題を解く力)を上回る基本的な読解力・思考力・表現力を高等学校の授業でつけていくことを取り組んでいきたい。


「現代文を教える」ではなく「現代文で教える」教師、さらに言えば、「現代文で生徒と共に思惟する」教師になりたい。生徒は教師の背中を見て育つ。生徒にとっていちばん身近にいる親以外の大人は教師である。大人になっても学ぶことを愉しみ、日々成長している姿を見せたい。生徒に「大人になるって素敵(悪くない)かも」と思わせたい。欠点まで含めて(人間として)惚れさせるような魅力を放ちたい。


毎日の授業での対話、ちょっとした触れ合いの積み重ね。素直な気持ちに気付き、温もりと愛を感じると表情が変わる。生徒に変化がおきた時の喜びが何とも言えない。教師はそれだけで頑張っていける。想いは必ず伝わる。まずは目の前の一人からアプローチしたい。